【マレーシア・マラッカ州】Malacca(マラッカ)

マラッカ家の中庭 マレーシアについて
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こんにちは!マレーズです。

マレーシア・マレー半島にあるマラッカは、船での貿易が主流だった昔貿易の要衝として100年以上栄えた歴史があります。ペナン島と同じく街並みがマレーシアの街とは異なり西洋文化の名残がたくさん残っている素敵な街です。

今回は世界遺産でもあるマレーシアのマラッカについて、ご紹介しますね。

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マレーシア・マラッカ州の位置

マラッカはマレー半島の首都クアラルンプールの南東部に位置しています。クアラルンプールから車で2時間・ジョホール州からは車で2時間半くらいの場所にあります。

マレーシア・マラッカの歴史

マラッカ王国はスパイス(香辛料)などの東西交易の要衝として100年以上栄えていました。英語では「Malacca」ですが、マレー語では「Melaka(ムラカ)」と言います。

◎1396年 マラッカ王国誕生

◎1511年 ポルトガルの植民地になる
マラッカは東西交易に欠かせない重要な拠点で、ポルトガルは従来のアラブ商人経由の香辛料取引での直接交易による利益を独占しようとしました。そしてポルトガルの「アルフォン・デ・アルバカーキ副王」が16隻の大艦隊を率いて、マラッカ王国を10日間包囲し攻撃ののち占領。現在も残るファモサ(サンチャゴ砦)と5階建ての塔を建てました。

この難を逃れたマラッカ国王は、マレー半島を南下し18世紀までジョホール州を「ジョホール王国」としてまとめ勢力を保っていました。1957年「マラヤ連邦」としてマレーシアがイギリスから完全独立後にイギリスの占領下にあったジョホールの王制度は復活し、ジョホール王族制(スルタン)は今でも続いています。

◎1545年 フランシスコ・ザビエルが初めてマラッカに上陸してキリスト教を布教
キリスト教の布教活動を始めました。マラッカで出会った日本人「ヤジロウ」との出会いが、1549年に日本でキリスト教が広まるきっかけとなりました。

◎1597年 オランダがマラッカを初攻撃

◎1641年 オランダの植民地になる
オランダ人とジョホールのマレー人が団結して、ポルトガル軍を駆逐。

◎1896年 マレーシア半島すべてがイギリスの植民地になる

◎1941-1942年 第二次世界大戦でマレーシアは日本軍の占領下にあった

◎1945年 第二次世界大戦後、再びイギリスの植民地になった

◎1957年8月31日 マラヤ連邦としてイギリスから独立

◎1963年 サバ州・サラワ州・シンガポールが加わり、「マレーシア連邦」となる

◎1965年 シンガポールがマレーシアから独立し、現在の「マレーシア」となる

マレーシア・マラッカで有名な食べ物

海南チキンライスボール

チキンライスといえば、ご飯のうえにカットされた蒸しチキンやローストチキンがのっているものがほとんどですが、マラッカでは、チキンとゴルフボールくらいのサイズのおにぎりのような、「海南チキンライスボール」が有名です。中国から渡ってきてマラッカに働いていた労働者たちが食べやすいようにご飯がボール状になっていて、その名残でこの形のままなんだそう。

Kedai Kopi Chung Wah(中華茶室)

こちらの店は9-14時営業で、売り切れ次第閉まってしまう人気店。ジョンカーストリートの入り口にあっていつも行列ができています。ゴルフボールサイズのチキンスープで炊いたライスが美味しくていくつも食べられちゃう美味しさ。

ニョニャ・クエ

日本にある羊羹とういろうのようなお菓子。特徴としては、ココナッツミルクやグラマラッカ(マラッカの黒糖)・バタフライピーやパンダンの葉など天然植物を使った南国を味わえるカラフルなものが多いのが特徴です。ニラや野菜・かぼちゃなどが使われている甘くないクエもあり、こちらはマレーシアの定番「チリソース」をつけて食べますが、これも美味しい!

マレーシア・マラッカの見どころ

A Famosa(エー・ファモーサ)

現在セントポール教会のある場所は高台にあり司令塔としても使われていたため、そこを囲むようにして1511年にポルトガルに作られたこの砦が「ファモーサ」。昔はこの砦の外側は海だったそうで、現在のマラッカの街は埋め立てられた場所に作られています。当時は門が4か所ありましたが、現存するのはこのファモーサのみ。

Stadthuys(スタダイス)

マラッカといえば、このオレンジ色の建物は有名ですね!

「スタダイス」とは、オランダ語で「州会議事堂」や「市役所」を意味します。1650年に建てられた東南アジアで最も古いオランダ建築の建物で、中にある博物館ではマラッカの植民地時代からの歴史と文化を知ることが出来ます。

周囲にはド派手なトライショーがたくさん停まっていて、これらは夜見るとさらに派手な電飾で見ごたえ抜群です!

セントポール教会

スタダイスを見て右の丘の上にあるのが、セントポール教会。1521年にポルトガルによって建てられ、キリスト教の学校になったり、オランダ占領下では教会になったり、イギリス占領下では火薬の貯蔵庫になったりといろんな使われ方をした場所でした。フランシスコ・ザビエル像が丘からマラッカの景色を見下ろしていて、マラッカの街を一望できる素敵な場所です。

Jonker Street(ジョンカー・ストリート)

こちらはお土産物屋や飲食店が立ち並ぶショッピングストリート。見ているだけでも楽しい通りです。

お土産におすすめのマラッカ名産物

ビーズ製のミュールやサンダル

細かいビーズが縫い込まれている、とても素敵なミュールやサンダル。いろんな模様があり、色使いも鮮やかで素敵なものが多いです。値段はRM300くらいからと少し高めですが、すべて手作り。オーダーメイドしてもらうとさらに高くなりますが、自分へのご褒美として買うのもいいですね。

ニョニャ・クバヤ

マレーシア人の民族衣装である、「バジュ・クバヤ」。「バジュ」は服、「クバヤ」は上着(羽織)という意味。なかでもマラッカを中心に住むプラナカンのニョニャが着ている民族衣装の「ニョニャ・クバヤ」は有名です。

「ニョニャ」は、15世紀ごろマレー半島に渡ってきた中国人と現地マレーシア人の子孫(プラナカン)の女性子孫のこと。ちなみに「ババ」は男性の子孫のことを言います。

昔からある「ニョニャ・クバヤ」のデザインは色使いが鮮やかで、ピンク・ブルー・オレンジ・イエローなどいろんな色があり、カラフルな花の刺繍が施されています。現在はいろんなデザインがあって、無地でシックな色の普段着としても着れるものもあります。

プラナカンの陶器

現地では「nyonya ware(ニョニャ ウエアー)」と呼ばれています。

日本ではよく中華街の中華料理レストランで見ることもある中国由来の食器です。これらの食器は15世紀に中国人によって、マレーシアに持ち込まれプラナカンの間で使われるようになりました。

色はピンクやイエロー・グリーンがベースで、鳳凰や牡丹の花のモチーフがデザインされていてとてもカラフル。茶器が有名ですが、食器や花瓶・小物入れなどいろいろなものが作られています。
お土産として売られているものは、複製品。昔から使われているものはヴィンテージ食器として高い価値があり、高値で取引されています。

お気に入りのものを見つけて、部屋のインテリアとして飾るのも素敵ですね★

まとめ

マレーシアのマラッカは、ユネスコに認定された世界文化遺産の街(2008年登録)としても知られています。街のサイズはとてもコンパクトですが、ペナン島のようにヨーロッパや中国の文化の影響を受けているノスタルジックな雰囲気が素敵な街で私は大好きです。まだ行ったことがない方は、のんびり散歩しながらマレーシアの歴史や異国情緒を満喫してみてくださいね!

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