【マレーシアの基本情報】なぜマレーシアは多民族国家になった?

中華系マレーシア人 マレーシア情報
この記事は約4分で読めます。

こんにちは!マレーズです。

マレーシアは、多民族国家です^_^とはこのブログでも良くお伝えしていますが、多民族の国はマレーシアやシンガポールだけでなく「アメリカ」「カナダ」「ネパール」「南アフリカ共和国」など地続きの大陸に位置する国や他国の植民地だった国などに多くあります。今回は、なぜマレーシアが多民族国家になったのか、その経緯や多民族国家のメリットについてもお話し
したいと思います。

スポンサーリンク

マレーシアには、どんな民族が住んでいる?

マレーシアには、マレー系民族(イスラム教徒)・中華系民族(仏教徒)・インド系民族(タミル・ヒンドゥー教徒)の3民族がマレーシア人として住んでいますが、ほかにも海外からの外国人労働者や留学生・現地で働いている人々の人種も加えるととてつもなく多くの民族がマレーシアでは生活しています。特にそれを実感できるのは、首都クアラルンプール。こちらにはさらに海外からの旅行者も加わるので、多民族のようすを肌で実感できます。

マレーシアの民族やマレーシアについて、くわしくはこちら↓

マレーシアが多民族国家になった理由

これには、歴史的な背景が影響しています。
1396年、まだマレーシアという国が出来る前のマラッカ王国では船で貿易がなされていました。マレー半島西海岸に位置しているマラッカは「スパイス・絹・陶器・麻などの繊維」の貿易の要衝として栄え、ポルトガルやオランダ・イギリスなどの欧米諸国からの支配を経て、いまがあります。


現在でも貿易の要衝とされる所には、さまざまな国の人々が住んで働いていますよね。アジアで言うならシンガポールでしょうか

そのマラッカでの貿易が栄えていた時代に、中国やインドなどから沢山の商人がマレーシア(マラッカ)に来て働いていました。そしてそのままその地に住み着き、マレーシア女性と結婚して産まれた子孫を【Peranakan】(プラナカン)といい、彼らは現在もマラッカを中心にマレーシア国内で住み続けています。これがマレーシアが多民族国家になった理由です。プラナカンとは、マレー語で「この地で産まれた」という意味。

ちなみに中華系のプラナカンの男性は「ババ」女性は「ニョニャ」とよばれています。

余談ですが、マラッカでの貿易を許可されたポルトガル。しかし、ポルトガルがムスリム(イスラム教徒)を迫害するとの情報を得た当時のマラッカ王がポルトガル人を排除しようと殺害し、そのあとポルトガル人が報復のためマラッカを攻撃。攻撃され陥落したマラッカ王国の当時の国王が、マラッカから数カ所の基地を経て南下。国王はインドネシアのスマトラ島で亡くなりましたが、その次男が1528年に作った国がジョホール王国。今のジョホール州になります。

このように貿易で栄えたマラッカで定着した民族が住み着いた背景があり、マレーシアは多民族が暮らす国となりました。
その後民族間の争いがあったりしていますが、以前マレーシアのナジブ首相が【Satu Malaysia(サトゥ・マレーシア)】(いろんな民族がいるけれど、1つのマレーシアになろう意味を込めて)というスローガンを掲げ、それ以来は多民族の多様性を尊重しながら1つのマレーシアを作ろうという試みを民族間でしてきています。


※Satuは、マレー語で数字の1という意味。

多民族国家のメリットや魅力

多民族国家のメリットや魅力としてマレーシア在住のマレーズが感じていることは、マレーシアに住んでいるそれぞれの民族ごとに文化や宗教・考え方の違い・食生活の違いなどがあるため、その違いを受け入れて尊重しあい自分軸でのびのびと生活することができる点。

多民族国家に生まれて実際に生活するうえで、アイデンティティは形成されるの?といった概念や発想はありません。多民族な環境であろうとなかろうと生まれる場所を人は選べないし、生まれた場所で生活をしていくだけ。そういったことは気にしていない人が多いです。

これは他の人と同じであることを良しとする考え方をする人も多い日本人にはあまりない考え方だと思います。(もちろんすべての日本人には当てはまりません。)


マレーシアだけでなくどんな国にも歴史ありですね。マレーシアは、建国されてからはまだ60年くらいと歴史は浅くて若い国ですが、それ以前の歴史的な背景を知るとマレーシアという国の奥深さに引き込まれます。旅行に行く時もその国の歴史や文化を知ってから旅に出ると、ショッピングやグルメだけでなく深みのある旅が出来ますね!

そのほかの記事も、良かったらご覧ください^_^



You cannot copy content of this page

タイトルとURLをコピーしました